1988年より北九州を拠点に困窮孤立者の生活再建を支援しています。

理事長あいさつ

2016年「偲ぶ会」に際して

〈2016年9月2日 抱樸「互助会」主催 「偲ぶ会」挨拶より〉

Facebookページに掲載

 

NPO法人北九州ホームレス支援機構からNPO法人抱樸へ

〈2014年7月5日 ホームレス支援活動開始25年記念式典、開会挨拶より〉

感謝

本日は、ホームレス支援活動開始25年の集会に、大変ご多忙の中、これほど多くの皆様においでいただき本当にありがたく感謝申し上げます。
今日来てくださった方々は、ホームレス支援にとっては、どなたも無くてもならない恩人のような方々です。本来は、お一人、お一人ご紹介申し上げたいところですが、時間の都合もあり、出来ません。しかし、まず最初に心より感謝を申し上げたいと思います。
1988年12月、おにぎりを手にした数名のボランティアによって、北九州におけるホームレス支援活動は始りました。路上で暮らさざるを得ない人々に「何かできることはないか」という一心で動き始めた人々がいたのでした。あれから25年が経ちました。
繰り返しますが、この活動は、多くの支援者によって、支えられてまいりました。協働してくださった方々、団体に感謝します。
また、私たちの活動は、多くを寄付に頼っています。ボランティアやスタッフの皆さんに感謝します。彼らの踏ん張りなくしては、何もできませんでした。彼らこそプロフェッショナルです。
そして、何よりも当事者に感謝したいと思います。私たちが関わり自立された人の総数は2,582人。半年間の自立支援プログラムを経て自立される人の自立率は93%。長年に及ぶ活動で、既に天国に行かれた方も多いわけですが、現在自立後の地域生活の継続サポートを受けている方の総数は1,609人。自立生活の継続率は93.3%にのぼります。出会いから看取りまでのトータルサポートを貫いています。この当事者の頑張りと言うか、この「実績」が何よりもの原動力であり、励みでありました。それが無ければ、続けることはできませんでした。

一日も早い解散を!

しかし、この活動が25年間続くとは誰も想像してはいませんでした。そもそも私たちの活動が長きにわたり必要とされていることは決して喜ばしいことではありません。「一日も早い解散を目指し頑張ります」、何しろこの言葉が2000年にNPO法人を発足させた時の私の理事長就任あいさつでありました。あれからしても、すでに14年が過ぎたことになります。
生活困窮者に対する支援を担う人々の活動は「自分の働きが不要になるために働く」と言う自己矛盾を抱えています。しかし、この宿命的な矛盾を自らの使命として担うスタッフが与えられたことに感謝と敬意を表します。
本来私たちの働きは「すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされる」時がきたならば、その役割を終えることになるはずです。しかし、残念ながら活動の終焉は、いまだ訪れません。
 それどころか、この25年間で、谷と山は再生産、しかもそれは拡大再生産されていったように思います。今埋めた谷が新たな谷底へと変化する。私たちはそのような現実を見てきました。「終われない」。それが今日この時点での私たちの率直な思いです。

出会いによって人は変わる

おにぎりと豚汁は、入り口に過ぎませんでした。出会ってしまうと、それまでの自分のままではおれなくなる、それが「本当の出会い」だと思います。「出会った責任」「知ってしまった責任」が曖昧にされてつづけるこの時代にあって、ホームレス支援に携わった人々は「出会い」に対する責任をなんとか果たそうともがいてきたのでした。
うれしいこともありました。何よりも人が出会いの中で、変わっていく様子、立ち上がろうとする姿は、私たちにとっても最大の希望でありました。
時には激しい住民反対運動にさらされることもありました。しかし、言われなき差別にも、私たちは絶望しませんでした。なぜなら「人は出会いの中でいつか変わる」という事実を野宿状態にある人々との出会いが証明し続けてきたのですからです。
死にたいと言っていた人が笑うようになる。
絶望していた人が希望を語り始める。
助けられた人が、助ける人になる。
反対が信頼と支援に変わる。
これは、夢想家の言葉では、ありません。私は歴史の証言者として、今日のこのことを申し上げたいと思います。人は、いつか変わる、希望はある。この活動は、人の希望に満ちた活動でありました。

逃げ遅れた人々

「逃げ出したい」「もうやめたい」。確かにそんな思いになった日もありました。現に去って行った仲間もいました。どれだけ手を伸ばしても届かない人間の現実を思い知らされた日もありました。支援者としての自らの非力や無力を嘆いたことも少なくありません。
しかしそんな中、大半のボランティア、あるいは職員は「逃げ出さない人々」でした。自分の身の安全を最優先に考え、他者と関わることを極力避け、自分の思い通りにならないと相手のせいにして退席する。そんな時代にあって、これらの人々の存在は、「時代遅れの極み」と言って良い存在でした。「自己責任」を振りかざす現代社会にあって、ホームレス支援に集う人々が、この「しんどい活動」に「参加し続けた」こと、「担い続けた」、「逃げなかった」こと自体は希望でありました。「自分の事で精一杯だ」を「他者と関わらない正当な理由」として公認した無縁社会において、他人のことで常に右往左往し、眠れない夜を過ごした人々が現にいたことは闇に輝く光だったのです。
しかし、「出会った責任」と一見カッコウ良く語りたいのではありますが、実際はそれほどカッコウの良い状況ではありませんでした。「逃げない」あるいは「引き受ける」と意気込んだとて、私たちはさほどの意志の強さなど実際には持ち合わせていませんでした。本当のところは「逃げる勇気がなかった」だけなのかも知れません。
「逃げ遅れ」-それが私たちの現実だったと言った方が正直だと思います。しかし、神様は、実に豊かに「この逃げることも出来ない弱さ」を私たちに与えてくださったのです。この弱さが恵みでありました。「嫌だ」、「つらい」と言いながら、(決して言わないことはありません)、かと言って「逃げ出すこと」もできず、「出会った責任」を結果的に負ってきた、そういうわけです。それが、ホームレス支援の25年だったと思います。今日の社会、すなわち無縁社会においては、このように常に逃げ遅れてしまう「どんくさい存在」が必要とされ続けたのです。
 しかし、考えると私たちが出会った野宿の人々も、あるいはこのような「逃げ遅れ組」だったのかも知れません。要領よく自分の事だけ考えていれば、そんな風にはなっていなかっただろう、と思われる人々と多く出会ってきました。どこか、純粋で、その故に不細工な生き方しかできなかった人々です。そんな逃げ遅れの人々と私たちは、路上で出会ってきたのでありました。
 この25年の活動は、逃げ遅れた者同士の出会いであり、時代遅れ同士の連帯でありました。支援する私たちも、路上の人々も、この時代においては「逃げ遅れ組」に属する人々でした。振り返るとそう思えるのです。

路上

私たちの活動は、路上の人々を訪ねることから始まりました。
当初、路上こそが明らかな貧困の場所でありました。私たちは、その最貧困の人々を訪ねて今日に至るまで路上に出かけています。
しかし、現代社会の貧困は、もはや路上には留まってはいません。路上からあふれた貧困と困窮が社会を席巻する勢いです。1980年代後半、日本の正規雇用率は85%を超えていました。そのような時代にあっては、路上生活者は、寄場における日雇労働等の雇用形態における構造的な問題はありつつも、いわばそれは「イレギュラーな貧困だった」と言えます。日本経済が成長する中で狭間に置かれた人々でありました。その意味で、私たちの活動は「イレギュラーな活動」であり、その結果「本来無い方が良い」活動であるし、「一日も早い解散を」と言うべき活動でありました。
しかし現在、正規雇用率は60%にとどまり、非正規雇用の労働者は、労働人口の40%、約2000万人が不安定な雇用に身を置いています。確かに有効求人倍率は、本年5月に1.09となりましたが、有効求人数の内、6割が非正規雇用というのが現実です。残念ながら、今や日本社会は、格差を前提とした社会になりつつあります。
日本は、「不安定な雇用」、「不安定な居住」ということが一定の人々においては、常態化することが前提とされる社会になりつつあります。これは、これまでの「イレギュラーな貧困」ではなく、「レギュラーな貧困」、すなわち「常態的貧困」と言わざるを得ない事態です。残念ながら、もはや貧困と格差は前提です。
このような社会の根本的な解決をどこに求めるのかを模索することは大切です。しかし、それが一筋縄ではいかず、また、時間がかかることも事実でしょう。そして、現に私たちの目の前には、そのような社会において当然のごとく困窮した人々、特に若者が日々現れているのです。

この状況において、私たちは、このように常態化する貧困に対応できる社会資源として本腰を入れて活動できる体制づくりへと歩みを進めなければならないという思いに至りました。大本の構造を問うことを曖昧にすることはできません。なぜならば、貧困が常態化した社会に「合わせた活動」にのみ留まるならば、私たちの活動は、歪んだ社会の補完物に終わります。私たちは、「対個人」としての活動と共に「対社会」としての活動をこれからも続けます。
私たちは、活動の形態を変えようと思います。なぜならば、これまで通りでは、私たちは「出会うこと」が、あるいは「見出すこと」がいままでのようにはできないからです。私たちは、路上で最貧困状態に置かれた人々を見てきました。人間の尊厳を極限までそぎ落とされた人々の姿に絶句しました。しかし、今日にそのような事態は、路上からあふれ出て、社会の隅々にまで及ぼうとしています。もはや、路上だけを見ていては、出会うことが出来ない、あるいは一部しか出会えないと言わざるを得ない状態です。かつて路上において明らかに見えていたものが、今や見えなくなりつつあります。その意味で現代の貧困は「見えない貧困」とも呼べるものなのです。
現に、厚労省の協力を得て「平成22年度社会福祉推進事業」としてNPO法人ホームレス支援全国ネットワークが行った「広義ホームレスの可視化と支援策に関する調査」では、「住居なし」の状態で公設のホームレス支援施設、民間施設、生活保護事務所を利用し居宅設置を行った人は、年間4万1千人存在し、その内「一日も野宿したことがない」と答えた人が5割に達するという調査結果がでています。
このような「見えない貧困」を見えるようにし、それに対応するには、どのようにしたら良いのか。私たちは、立ち方を変えようと決断しました。

私たちの事業の一覧をご覧ください。路上での活動の他、就労訓練事業、更生保護、障害福祉、介護福祉、子どもの学習支援など、既に活動は、大きく広がらざるを得ない状態となっています。
これまで私たちの活動に対しては、「ホームレスに対する社会復帰支援」と呼ばれてきました。しかし、昨今私たちが抱き続けた問いは「果たして復帰したいような社会か」ということでありました。この社会がホームレスあるいは貧困を生み出しているのなら、あるいは、そのような困窮状況に置かれた人々を「自己責任」の名の下に放置し続けているとするならば、私たちは路上のいのちに傾きつつも、では、どのような社会を目指すのかを真剣に考え、そのことに取り組まざるを得ないと思うのです。
社会と言う名のバケツの底に穴が開いており、その穴から人々が落ちてきます。当然、そのいのちを見て見ぬふりをするのなら、彼らは落ちて死んでしまうでしょう。私たちは、そのいのちを受け止め、元のバケツに戻してきました。しかし、たとえ元のバケツに戻しても、すなわち、元の社会にもどしても、すぐに次の人が落ちてくる。それは、社会(バケツ)の底が抜けている(穴が開いている)からにほかなりません。それが、この社会の現実なのです。
先に述べた通り、そのバケツ、その社会そのものを問わずして、単にコップでその水を受け止め、元に戻し続けるならば、私たちの活動は、壊れたバケツ、問題のある社会を補完することに終わるのではないか。私たちは、その不安を常に感じていました。
さらに今日においては、貧困と格差、孤立こそが戦争を可能にするという心配が現実となりつつあります。戦場に行かざるを得ないのは、常に貧困層であり、差別や排除にさらされた人々であったことは歴史が証明しています。私たちは平和を目指します。平和な世界の構築のためにも、経済的困窮問題と社会的孤立問題、すなわち新しい地域社会の創造に取り組みます。

私たちは、これまで三つの使命を掲げて歩んできました。

ひとりの路上死も出さない 
ひとりでも多く、一日でも早く、路上からの脱出を
ホームレスを生まない社会を創造する

この三番目の使命、ホームレスを生まない新しい社会を創造することが、これからの大きなテーマとなります。新しい地域社会、人と人の出会い方とつながり方、生きるための学び、分かち合うための知恵を得、赦す心、弱いもの同士が出会い役割を得る、そのような新しい社会の創造を模索します。
確かに貧困は、忌むべき状態です。しかし、そのようなつらい現実が、新しい地域社会の胎動となることを信じたいと思います。出会いや絆は傷を含みます。傷なくして、私たちは出会うことはできません。そして、その痛みを伴う出会いこそが、新しい社会を創造し、相互豊穣のモメントとなるのです。私は、そんな新しい地域社会を夢見ます。私たちは、いよいよその段階に差し掛かろうと思います。

抱樸社会を目指して

目指す社会の方向性として、私たちは「抱樸」を掲げることとしました。本日をもってNPO法人北九州ホームレス支援機構は終了します。本日よりNPO法人抱樸として新たに活動を開始します。
「抱樸」は、老子の言葉です。私は、学生時代、住井すゑを通して、この言葉に出会いました。
抱は、抱く。樸は、原木の意味です。抱樸には、大きく二つのテーマがあります。
第一のテーマは、受容と希望です。山から切り出された原木をそのまま抱く。製材所に運ばれてと整えられたら受け止めるのではなく、原木をそのまま受け止めるということです。その時、希望が生まれます。原木は、役割を得て、杖や家具となり、他者のために生き始めます。
第二のテーマは、絆は、傷を含むということです。原木のままお互いに抱きとめるということは、傷つくことが伴なうということです。
しかし、傷ついてでも引き受けてくれる人、地域、社会がまず必要なのです。社会参加、受容的社会ことが、自立を支えます。

最後に、抱樸の由来という文章を紹介し、私のあいさつとさせていただきます。
これは、2007年に最初の抱樸館である「抱樸館下関」が開所した時に書いた「由来」です。
みなさん、どうぞ、NPO法人抱樸をこれからもご支援ください。時には、やんちゃで扱いにくい者たちではありますが、そこは「抱樸」くださり、共に新しい社会、「抱樸社会」の創造に歩ませていただければ幸いです。

2014年7月5日
NPO法人 抱樸
理事長 奥田知志

2013okuda

 

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